電車を待ちながら

私は「ながら○○」が好きだ。

・お風呂に入りながら、ブログを書く
・歩きながら、おにぎりを食べる
・電車に乗りながら、調べものをする

入浴や移動など、通常はそれだけで終わってしまう間に他のタスクを完了できると、何だか得した気分になる。

ただ、私は「男脳」なので、実際には一時に1つのことにしか集中できない。女性がやるように、テレビを見ながら会話をするといった類いのものはダメだ。

さらに、ブログや調べものに集中し過ぎてしまい、気付いたら出かける時間を忘れてしまったり、降車駅を過ぎてしまうこともしばしば。これでは意味がない。本末転倒というやつだ。

私が「ながら○○」が好きなのは、要するに“ものぐさ”なだけだ。効率を重視すると言えば聞こえがいいが、色々なことをとっとと片付けたいのだ。

この「ながら○○」に関しては、幼い頃によく親から注意される対象になっていた。「ご飯を食べる時はテレビを消す」という躾などはその最たるものだ。これは「1つのことに集中しなさい」ということと「2つ以上のことを同時にやるのはみっともない、マナー違反だ」という考え方に基づいているように思う。

最近は「ながらスマホ」「歩きスマホ」が問題になっている。私はあまり気にせずやっていたが、妻に指摘されてからは多少気にするようになった。

「誰にも迷惑をかけていない」「地図を片手に歩いている観光客と何が違うんだ」という意見には、それもそうだな、と思う。私も見知らぬ場所で目的地を探す時には、今でもスマホの地図を見ながら歩くことはしばしばある。駅で電車の時間を調べたりするときも、完全に立ち止まってからやっているかというと、そうではない時もある。

ただ、イヤホンで音楽を聞きながら、スマホの画面を凝視しながらズンズン歩いている方を見ると「さすがに危ないな」とも思うし、なにより「何か嫌」なのである。そして、この「何か嫌」が案外大事なのだろうと思う。具体的に迷惑をかけている訳ではなくても、多くの人に違和感や不快感を与えている時点で、褒められたものではない。分別のある一人の人間だという自覚があるならば、こうした振る舞いは公共の場では慎む方が賢明というものだろう。

・・・と、ここまでずっと「ながら○○」について語ってきたが、実は、今日言いたかったのは全く逆の話。

今朝はあえて「お風呂に入りながらブログを書く」ということをしなかった。午前中にアポイントがなく、少し心にゆとりがあったため「たまにはのんびりお風呂に入ってボーっとするか」と思ったのである。

そうしてお風呂に浸かっていると、普段は意識しない身体の「ほぐれ」が感じられたり、色々と仕事に関するアイデアが浮かんで来たり、何だか心地よかったのである。

結局「お風呂に入りながら考える」という2つのことをしているのだが、この「ボーっと考える」という時間は、2つのことを並行してやっている時間よりも、実は創造的・生産的なのではないかと思う。「瞑想」が流行っているのも頷ける。そういえば、前職の頃は、毎朝シャワーを浴びてからオフィスに着くまでの間を「仕事のことをボーっと考える時間」にしていたような気がする。

お風呂に浸かっていてもう1つ感じたのは、「1つのことしかしないって何とも贅沢な時間の使い方だな」ということ。それを思うと、何だか心が豊かになるようだった。

「ながら○○」もいいけど、たまには贅沢に時間を使い、創造的に思索を巡らせたり、心を豊かにしたりすることもバランスよくやっていきたいと思った今日この頃であります。

今日の写真:電車を待ちながら / fukapon